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『いづれにしても存在はしません』その4

欠損していくオリジナルについて


前回提示した検証方法

①どんなに加筆や修理をしても、法隆寺や非母観音が造られたり描かれたりした意義は変わらない。例えそれらを構成する要素が変わったとしても法隆寺が建立された目的や非母観音が描かれた動機には影響しない。よってそれは同じものだ。

②どんなに、修復や修理をしても前提となる設計者が描いたマッスや構図が変わらなければ同じものといえる。

『いづれにしても存在はしません』その4_e0170648_21402742.jpg




今回は日本橋を例に考えてみます。


この橋は江戸時代以降でも十数回架け替えられています。
木造だったり、石造だったりして、同一の形状を維持していません。

検証方法でいう②は該当しそうにありません。(漠然とした橋ってことでは同じか?)
検証方法①に関すると構成要素は変わってしまうけど、日本橋の機能そのものは変わってないように思えます。

むしろ日本橋にとってのアイデンティティはやはり日本橋川にかかっているということでしょう。この地点、座標にあるかぎり日本橋が『本物』か『偽物』か、という議論は当てはまらないでしょう。前提に○代目日本橋と比べると、現在のデザインはどうか?といった話ぐらいはできるでしょう。



では逆にこの橋が『偽物』と感じられる時はどのような時か?
例えば、日本橋川が埋め立てられてしまったとしたら?
周辺にある京橋などは、無惨にも大正期の橋の欄干の遺構を残し姿を消しました。その欄干だけ見ても、「そこに橋がある」とは思えません。



そこまでいかなくても。日本橋川が埋め立てられ、コンクリートの道路の上に架かっていたとしたら、日本橋のアイデンティティは若干変化するように思えます。
なんだかトマソンっぽい話になってきました。


またしても『本物』か『偽物』のややこしさが増しました。



特にこの橋にとって頭上にかかる首都高は歴史を継承していく時に、負の要素として捉えるのか、もしくは肯定的な要素として捉えるといった視点があるのか?もちろんない方が景観は良いでしょう。ですがほんの数十年前にはそれを良しとしていた人々が大勢いたわけで、その人たちにとって、首都高のある景観は心地よいものだったかもしれません。そのムーブメントのようなものはどう解釈するのでしょうか?



惑星ソラリス(初代)で日本の首都高が未来の風景として長まわしで映されるシーンがありました。悪評も高いですが見方によってはサイバーパンクっぽくも見えますよね。

『いづれにしても存在はしません』その4_e0170648_23101934.jpg


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『いづれにしても存在はしません』その4_e0170648_2374014.jpg

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by shino-miya | 2010-06-13 21:45 | 建築物


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