忠太の門

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    図1 左:築地本願寺 中:東京都復興記念館 右:大倉集古館



好きな建築物について書いていこうと思って始めたブログですが、なんだかんだ制作が忙しいと書く暇がそう簡単にとれないことに気付く‥。
なので、ここらで久しぶりに無理して書いておこうと思いました。







とにかく近代和風が好きなのです。特に伊東忠太関係の建築物は全体的にピクチャレスクで構造よりも先に装飾に目がいってしまいます。
ゆえに絵描きとしてはとても入りやすい建築物でもあります。
(ちなみに『建築』という言葉も忠太が作ったものです。それまでは造家と呼ばれていました。工学的な側面よりも、文化的・芸術的な側面を強調したニュアンスになりました。)
忠太の作品は、時代がかった歴史主義建築や,建築進化論的な折衷表現や違和感が先に見えてしまい、現代的な視点から見れば過渡期の表現として括られがちですが、その分クセが強く、一度はまってしまうと中毒性があります。
そういった所を観察するのが楽しいんですね!


忠太建築の見所を僕なりに区分けすると以下のように分けられます。
①妖怪、動物のレリーフ
②日本建築に対する建築進化論的なアプローチ
③社寺建築へのアプローチ(②とも被ってくる部分もあります。)
④顧問として担当した建築物への忠太の影響

①に関しては図1を参照してもらうと、「忠太建築を観察する」の意味が伝わるかと思います。『伊東忠太動物園』等の書籍もあります。
なので、動物・妖怪に関しては別な機会に触れることにします。


今回はとりわけ②〜③について書きたいと思います。
その中でも忠太の関わった「門」について触れてみます。
忠太建築の中で何が好き?と尋ねられたら、動物・妖怪系を除けば、靖国神社の神門をあげます。
現代においても忠太の影響の残るものとして、法隆寺(7世紀後半〜8世紀初)とギリシャのパルテノン神殿(紀元前438)のマッスには共通点がある!と言ったような言い回しを聞いた事はないでしょうか?全体的なプロポーションのみならず、どちらの建築物にも柱にエンタシス(胴張り)があるという共通点もあります。
こういった話は忠太以前からあったようですが、普及させたのは忠太のようです。

当時の日本人にとって、一流国であるヨーロッパ諸国の文化と、まだまだ国として自信を持てない日本の文化がシルクロードを通して実は繋がっているのではないか?と感じられるような話は好意的に受け入れられていたのではないでしょうか? 
2つの建築物のプロポーションを記している忠太の絵も残っています。
実はこれ忠太の学位論文に登場しています。ですがその後アジアの大旅行を続けた忠太ですが、積極的な証拠を示すことは出来ませんでした。距離的にも年代的にもこれだけ離れていたらまあそうでしょう。



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    図2 左:靖国神社神門 1934 右:マドレーヌ寺院 1842



アンダーソン・ボアンヴィルやカペレッティ、コンドルなど、お歴々から当時の日本人が必死に学んだ西洋建築に対する衝撃というのは、それはそれはショッキングなものだったでしょう。今の時代の人間からみても、憧憬する気持ちを想像する事は難しくないように感じます。日本の建築物はあまり明確な正面性を持ちませんが、ファザードを明確に打ち出す西洋建築は強いインパクトを持っています。ヨーロッパに渡った辰野金吾は日本の建築について聞かれて何も答える事が出来なったという苦い経験をしています。忠太はその後の世代であり、日本の建築をどうやって体系化、学問化する事ができるのかと考え始めた世代でもあります。

それらの前提があったとして、図2を見てみると、どうでしょうか?
靖国神社神門は伊勢神宮の神明作りを応用したような平入の門。右はフランスのマドレーヌ寺院の写真です。写真では分かりませんが、奥行きがとても広い建物でその入り口付近を映したものです。こちらは伝統的なクラシシズムの流れを汲む、妻入りの建物。

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      図3 切妻造り


ちなみに僕はこの切妻造りが西洋、東洋問わず、建築物の共通項として、見えるようになったことが建物好きになる大きな要因でした。
「建築は木造から石造に進化する。」と言ったような内容が建築進化論にあったように思います。
かなり大胆なこういった物言いは関東大震災(1923)以前と以後では、ずいぶんと文言の信憑性に差が出てくるとは思うのですが。震災以前においては日本の建築の進むべき道といったようなイメージが漠然とあったのではないでしょうか?
忠太は法隆寺とパルテノン神殿や、日本の社に残るような原始的な構造に共通性を見いだし、それらをなんとか形に出来ないかと腐心していたのではないでしょうか?

ギリシャの神殿のような西洋建築も実は昔は木造で建てられていたと言う話があります。地震などの被害も少なく、より堅牢で長持ちする素材として石に目をつけ、石で建物を造りはじめたのではないでしょうか。組石造りにしたは良いが、ずいぶん味気ない‥。と当時の人は思ったのでしょうか?
そこでまた図4のマドレーヌ寺院を見てみます。屋根を支えている柱をよく見てみると柱の方向に合わせ、縦に溝が掘られているのが分かるでしょうか?こういった要素は木造で造っていた時の名残ではないかという話を読んだ事があります。つまり石にわざわざ木目をつけているのです。その他の部位で言えば図4靖国神社神門の軒下に点々と白く塗られた部位があるのが分かるでしょうか?これは垂木(たるき)といって桁の上に置いて屋根の下地にする部材です。
建築的にも見栄えのする物なので、構造をささえない化粧垂木や日本のような雨の多い地域では軒を延ばすため垂木を二段にしたりするものもあります。
この垂木も組石造りに完備されています。構造材としてではなく化粧垂木のような物として、その痕跡を残しています。

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    図4 右:靖国神社神門 垂木  左:マドレーヌ寺院 トリグラフ


クラシシズムの大きな要素である、ペディメントとオーダーにはプロポーションに対する厳格な決まりがあります。
柱と柱頭の比率が、コリント式なら7:1だとかイオニア式なら10:1だとか基本決まってます。
根拠としての木造建築を失わない範囲をあらかじめ規定しておくかのようにも感じます。
そんなこんなでこの神門は逆輸入的に組石造が持つ木造への憧憬と、当時の日本人が持つ西洋建築の正面性への憧れを上手く調和させているのではないかと僕は勝手に思っています。
靖国神社神門はシンボリックな宗教的モニュメントとして、強い個性(もしくは無個性)を獲得しているように思えます。


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    図5 左:東京大学正門 1912 右:東京大学赤門 1827

続きます。(たぶん)



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by shino-miya | 2011-09-19 04:49 | 建築物


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